拙ブログ、話は9月中旬まで遡っております。
クマオ氏とアメリカはグランドサークル周遊の旅に出ていました。
しばらくそのレポートが続きます
まずは旅行中の猫達の様子☆
キャットシッターはるたさんのレポート一部抜粋☆
御年9才のレオ君。健康優良児です。同腹生まれの乙女が腎臓病で8才で亡くなってしまったけれども、レオ君は健康診断でひっかかたことありません。(歯肉炎予防に歯石除去手術しましたが。)食事後の飲水ちゃんとしてくれてます。
ずっと、ずっと長生きしてね。
治田さんが食事の支度を為ているときの猫達。
白組達、待ち構えてますね
さて。
グランドサークル周遊の旅二日目。
宿泊先のレイクパウエルを出発し砂漠をひたすら走ること2時間。
<ナバホ族保留地の発電所>
ブラック・メサ鉱山が閉鎖されることになりここも来年閉鎖になるそうです。たくさんの失業者がでることになるそうです。
フクロウ岩が私達を出迎えてくれると・・・
モニュメントバレー・ナバホ・トライバル公園内にあるグールディング・ロッジ着
高台に立つロッジからはモミュメントバレー全貌を拝めることができます
何千万年という長い時間をかけて雨や風に削られ、上部が崩れ落ちテーブル状の岩となった(メサ)や細い柱のようになった赤岩(ビュート)が点在する雄大な荒野モニュメント・バレー。
人類の文化や歴史を遙かに超える地球の軌跡です。自分は言うまでもなく、人類はなんてちっぽけな存在なのでしょうね。
300m級のメサが巨大な記念碑(モニュメント)のように見えることから、モニュメント・バレーと呼ばれるようになったそうです。
ロッジの後ろには聳え立つ巨大なメサにも圧巻
さてそれで、ここからはまたネイティブアメリカンのナバホ族案内でジープに乗り換えて未舗装の道を走りミトンビュート、ジョンフォードポイント(下車)、スリーシスターズ、エレファントビュート、ミッチェルメサ、センテニアルメサなどを観光。
これはナバホ族の伝統的な家ホーガンです。
木の枝で骨組みし赤土泥で塀を作っています。入口は必ず東向きだそうです。
ホーガン宿泊体験ツアーてのもあるらしい。
ただし注意書きに「ホーガン滞在は、ほとんどの人には耐えられない特殊な環境ですので、縄文人のような原始体験をしてみたいという人以外にはおすすめできません。ちなみにホーガン内には電気、ガス、水道はもちろんのこと、トイレすらもございません。極めてマニアックなツアーになっていますので、十分ご注意ください。」とあります。笑
<ミトンビュート>
「鍋つかみ」の形に似てるとのこと。親指が細いねっ
<スリーシスターズ>
次女が小柄細すぎますね。笑
崖の上で馬に乗っているこの人は一体・・・
どうやら煙草マルボロのCMで使われたロケ地のようですね。
彼のように馬に乗って記念撮影したければ5ドルだそうです。
お昼はモニュメントバレー名物ナバホタコを食べました。
メキシコのタコスの元祖だそうですが、タコスよりずっともっちりしていてボリュームありました。煮た豆と生野菜、チリソースがかけてあります。
このナバホタコができたのには悲しい歴史があるそうです。
<以下バスガイドさんの話>
1864年に実行された合衆国大統領エイブラハム・リンカーンの指示によるインディアン民族に対する民族浄化「ロング・ウォーク・オブ・ナバホ」から始まります。合衆国は西部への植民地、フロンティア拡大の障害となるインディアン部族の民族浄化としてナバホ族8500人を300マイル(500km)離れた強制収容所へ徒歩連行させたそうです。その間死者900人(病人や歩けなくなった老人は、道端に放置された)、更に強制収容所の収容人数は3000人分しかなく、強制定住させられた人々は大地に穴を掘って暑さをしのいだそうです。米国政府から支給されたのはわずかな小麦粉とラードだけ。しかしナバホ族は農業文化を持たなかったため、パンを作るという発想がなく、最初はこの小麦粉を舐めて飢えをしのいでいたそうです。やがてパンを作ることを知り、それがタコの原型だそうです。
メキシコのタコスはこのタコの複数形だそうですよ。
ちなみにナバホ居留地は全域禁酒(酒の持ち込みもダメ)なのですが、これにも歴史があり、ロング・ウォーク・オブ・ナバホをアメリカ政府が謝罪した後、ナバホ族の稼ぎ頭は女性たちになっていきますが(ナバホ族は女系家族で女性が強い部族だそうです。)、解放後の男性はすることがなくなり政府の支給金で酒や麻薬におぼれるようになり社会現象になったため、ナホバネーションの長が保留区内は酒NGの法令を作ったのだそうです。
おっと、話が長くなりました。
昼食後は隣接する博物館Goulding’s Trading Post Museum見学です。
グールディング夫妻がこの地に住み始め、だんだんとナバホの人達の信頼を得て、トレーディングポストを営むようになったのだそうです。トレーディング・ポストとは物々交換の場所ですが、ナバホの人達にとっては銀行のような役目をしていたそうでこの建物内には大きな金庫跡の扉も残っていました。
もともとはこの地を第二の故郷としていたグールディング御夫妻の住居だった建物で、二階には1940年代の生活の様子を忠実に再現したリビングルームやキッチンを見ることができます。 質素なお部屋ですがすごく暖かい感じです。一階はモミュメントバレーが舞台となった映画の博物館となっています。
ガイドさんの話はとても興味深く、コロンブスがアメリカに漂流してからの残忍な侵略歴史、ネイティブアメリカンの話、ハリウッド映画におけるインディアンや砂漠の誤った表現についてなど・・・とても面白かったです。
さて、次はいよいよグランドキャニオンに向かいます。
続きは明日
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あ り が と う
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アメリカ旅行記 ~グランドサークル周遊編③~
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