今週は東京はずっと雨のち曇りの空。梅雨真っ只中ですね。
週末に猫友さんがおいでになるというのに、思うように洗濯物ができなくて弱ったなぁ。。。
さて。昨日の長崎帰省の続きです。
クマオ氏実家の山でマタタビ採取の夢を膨らませていた私ですが、初長崎の姉より
「そんなことより観光したい。。。」と言われてしまったので(そりゃそうだよね・・・)
島原を後にし、市内観光に向かいました。
大好きな長崎スポットを色々まわりましたよ
グラバー園に出島、亀山社中&風頭公園の龍馬像(と長崎独特の長く続く階段)などなど。
姉は丁寧に説明文を読み展示物を見、ガイドさんの話に耳を傾け、その時代にタイムスリップして楽しんでいました。姉も長崎をとても気に入ってくれたようです
とくに日本が鎖国時代、唯一開かれた貿易・文化の拠点だった出島の生活や、明治日本の産業革命遺産であるグラバー園や軍艦島にいたく感動していました。
【軍艦島(端島)】 2015.7に世界文化遺産に指定
長崎半島から西に19km沖合に位置する端島。
海底炭鉱の島で、岸癖が島全体を囲い、高層鉄筋アパートが建ち並ぶその外観が軍艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれるようになったそうです。
南北に約480m、東西に約160mという小さな海底炭鉱の島ですが、昭和35年の人口密度は当時の東京の9倍、世界一の人口密度だったそう。当時の最先端技術を駆使して開発が進められたこの島には「世界一」や「日本一」、「世界初」 「業界初」など知られざる多くの記録が残されています
閉山後無人島になったため建物達は風化してしまいましたが、当時島内には小中学校や病院など生活は全て島内で賄えるようになり、映画館やパチンコホールなどの娯楽施設もそろっていたし、各家庭のテレビ普及率もほぼ100%(日本平均普及率10%)
軍艦島(海底炭鉱)は三菱石炭鉱業(株)所有でしたから炭鉱で働く職員家族は社の手厚い庇護を受け、高給取りで豊かな生活をしていたそうです。
最深海底900mまで掘り下げられた炭鉱での仕事についてもガイドさんから写真付きで詳しく解説頂きました。
<精炭運搬用ベルトコンベアーの支柱>
印象的だった話は、入坑するための堅坑ゲージ(エレベーター函)の話。
ケージは1函(はこ)に25人乗りの2階建て。しかもドアが付いていなかったそうで・・・
一気に606m地下まですさまじいスピード、真っ暗闇、轟音で下っていったそう。
初めてケージに乗った坑内員はパニック状態になり底に着いた時には失禁しする人もいたそうです。東京スカイツリーのエレベータが高さ634m、秒速7mですから、軍艦島のケージの方がスピードがあったと思うと、そりゃチビリますよね・・・。
<堅坑ケージ写真が軍艦島ミュージアム スタッフブログにあります → ☆>
<日本初の高層鉄筋アパート 30号棟前で記念撮影>
日本第一号のアパートが、東京や都心部ではなく長崎の小さな小島だったと思うと感慨深いです
軍艦島上陸で感銘を受けた私たちはその足で【軍艦島ミュージアム】へ
ここもまた、感銘を受けた興味深い軍艦島の最先端技術だった炭鉱業と生活を知るにふさわしいミュージアムでした。
なんと言いますか、地元の方の軍艦島への濃い愛情を感じました。
長崎に行かれた際には、是非軍艦島ツアー&ミュージアムにも行ってみて下さいね
ポチッとお願いニャン
あ り が と う
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長崎良いとこ一度はお出で!
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