最愛のマイケルが2月24日に虹の橋を渡ってしまいました。享年12才
マイケルの訃報は公にせず、極々親しい方のみ連絡させて頂きました。
マイケルはTVや雑誌にも取り上げて頂き、SNSを通じてたくさんの方にも可愛がって頂いたこと、感謝申し上げます。にもかかわらず公にしなかったご無礼をお許し下さい。
亡くなったその日に駆けつけて下さったキャットシッター治田さん。
マイケルが我が家に来て10年以上、私たちが不在中に何度もお世話をして下さいました。もう親戚のお姉さんといった感じでした。
甘えん坊で寂しがり屋のマイケルを一番に気を遣ってくださり、スキンシップをとって下さった治田さんには感謝の言葉しかありません。マイケルはいつも治田さんの足に抱きついてはジーンズで爪研ぎしていたそうです。
隣町に住む猫友yuriさんもすぐに駆けつけて下さいました。
yuriさんはいつもすぐに我が家に駆けつけてくれて私たち家族を助けてくれた友人です。たくさん家に遊びに来てくれました。マイケルはyuriさんのことがそれはそれは大好きで、いつもyuriさんの隣席を陣取っていました。
「マイケルの恋人はyuriさんなんだね~」っと笑いながら話していたっけ。
レオの実家であるSさんは葬儀にいらして下さいました。
マイケルの身体を聖水で拭いてくれました。目を開けたままのマイケル。清水さんを見上げて嬉しそうにしているように見えました。
双子の姉も駆けつけてくれました。
姉「マイケルに出会うまでは犬猫はただのペットでしょと思っていたけれど、マイケルと出会って、犬猫は子供と同じ家族なんだとわかったよ。我が家もメイと寛太を迎え入れ、たくさん幸せをもらってるよ。マイケルのおかげだよ。」と。
姪っ子(長女)も葬儀にきてくれました。
同じく聖水で身体をキレイにしてくれました。
姪がまた8才だった頃、マイケルが我が家に来ました。マイケルに会いたかった姪は小学生ながら一人で電車に乗ってマイケルに会いに来たものです。小さかった姪が、たった一人で1時間半もかけてマイケルに会いに来てくれたことが昨日のことのようです。
マイケルの初めてのテレビ出演が姪っ子とでしたよ。
猫友Uさんも仏壇に手を合わせに来て下さいました。
遠いところありがとうございます。マイケルの思い出を泣きながらたくさんお話しすることができ、マイケルにとっても良い供養になりました。
Uさんも我が家に何度も遊びに来てくれました。マイケルを通じて楽しいUさんと親しい間柄になれたこと、感謝感謝。。。
マイケルと猫親戚のミケジママとこはくママさんからも献花を頂きました。マイケルを通じてたくさんの猫親戚ができたこと、感謝感謝。。。ミケジママとこはくママは何度も我が家にお越し下さいました。
マイケルは優しいミケジママのお膝に乗っかって美味しいものをおねだりばかりしていましたよ。
北九州のななスコママさんからも可愛い献花を送って頂きました。
ありがとうございます。長年の友Rちゃんや白猫友さんのいけかなさん、茶トラ仲間のマイケルさんも、マイケルへの弔辞ありがとうございました。
そしてそして。
最後になりましたが
マイケルの保護主はんなりママには感謝してもしきれません。
真っ白な献花と弔辞をいただきました。
2009年、千葉でマイケルを保護して下さり我が家とのご縁を繋いで下さいました。
はんなりママさんへの感謝は語り尽くせずにあります。あまりにもたくさんお世話になりましたし気持ちを割いていただきました。
マイケルのおかげでたくさんの方と出会うことができたよ。ありがとうね。
2009年12月に我が家にマイケルが来てから、毎日が幸せでした。その幸せはあと10年は続くと思っていたのにね。
マイケルが突然居なくなり、まだまだ気持ちの整理が付かない私です。
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御礼を①
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ご報告
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しばらくブログを更新していませんでした。
突然の報告ですが、最愛のマイケルが2月24日に虹の橋を渡ってしまいました。
病気が発見されてから、あまりにも早く逝ってしまい私自身も気持ちの整理が付かずご報告が遅くなりました。
2月に入ってから食欲にムラがあり念のためと病院に行ったのが2月19日。
精密検査をした結果、小腸に極めて悪性なLGLリンパ腫瘍が見つかりました。
この癌は治療法が確立されていない、予後が極めて悪い、余命2日~2ヶ月と言われました。完全奏効率(一時的に腫瘍が完全に消失した猫の割合):5%、生存期間(中央値):17日と。
LGLリンパ腫は早期発見できたからといって、前向きなことは言えないとお医者さんに言われました。マイケルは血液検査は数値は全て基準値内であり、血液中に癌細胞はまだ見られず転移はしていないのではということでした。
マイケルは病院に連れて行くまで高いところにも飛び乗っていたし、他猫とも走り回っていたし、下痢も嘔吐も見当たらなかったし、そんな事態になっているとは思いもよりませんでした。
<入院直前のマイケル。大好きなマグロをたくさん食べてくれました>
その時点でマイケルは体重も体力もある状態だからと、すがる思いで治療をお願いしました。
治療法はまずL-アスパラキナーゼを投与して癌を小さくしてから抗がん剤を投与していくというものでした。化学療法も外科手術も奏効率も変わらないとのことで、それだったら身体にメスを入れて体力を奪うより化学療法でとなりました。
入院したのが2月23日昼11時。
その日の午後L-アスパラキナーゼを投与。
翌朝24日朝一で電話が鳴り、低血圧で具合が良くないから会いに来るように言われました。病院に駆けつけると、私の顔を見るなり私の腕に戻ろうとしたマイケルでした。それから30分もしない内に呼吸が荒くなり、人工呼吸をすることになり、1時間もしないで心臓が止まってしまいました。
完治しないまでも、少しでも余命長くと願って治療をお願いしたのですが、あまりにもあっという間に亡くなってしまいました。こんなことなら治療せずに家で過ごさせれば良かったのでしょうか。下痢や嘔吐、血便、重度の脱水にそうとう苦しむ末期だそうですが。
闘病1日で亡くなってしまったマイケル。
家に戻ってきましたが、ただ眠っているだけのようでした。
体重も5kgのままだし、毛艶も良くて。
お医者さんがマイケルの目を伏せようとしていましたが、マイケルは目を閉じませんでした。
私のことが大好きで、毎日毎日私のことばかり追っていたマイケルは、自分が亡くなったことも分からずに私のことを目で追っていたのだろうね。
毎日毎晩、私とクマオの間に居てくれたね。
本当は人間が大好きなのに、白猫達に好かれすぎていつも白達に挟まれていたね。
まだまだずっと元気で長生きしてくれると思っていたのに。
4月13日で四十九日を迎えましたのでご報告させていただきました。
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あ り が と う
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