父の故郷:宮城県は荒浜で本家の葬式(叔父夫婦)があり行ってきました。
宮城にたくさんに雨が降った月曜日のことです。
荒浜はこの度の東日本大震災で甚大な被害を受け
町自体がほぼ壊滅状態になったところです。
父方の本家は阿武隈川の守り神:川口神社のところにありました。
昔から神様がまつられているところは、気の流れや水の流れが
あるところと決まっています。先祖代々その土地にあった本家。
「昔から神様がまつられているところは聖域であり守られているものだから
きっと今回の地震や津波でも家は大丈夫」と信じ叔父夫婦は避難せずに
家の2階にいてたようです。
ただ、そう。
ここは海から水と気が通る道。
7m越す津波に家屋すべて残らず流されてしまいました。
娘が最期に交わした言葉は、何気ない日常。
オバ「今日は仕事から何時頃帰るの?」
娘 「うん、早くに帰るよ。」
今生の別れの言葉が、こんな言葉しかかけられなくて、
こんな悔しいことはあるだろうか。
と娘は自分を恨み。
翌日は叔父の誕生日で、娘息子孫達みんな集まって
誕生会をする予定でした。
あと1日震災が遅かったら。
父と母を連れて逃げられたろうに。
こんな悔しいことはあるだろうか。
と子供達は運命を恨み。
神様の場所だったのにどうして父と母を
守って下さらなかったのかと神様を恨み。
「なぜ自分の父と母が」と神様に問いかけ、
「自分達の行いがどこか悪かったのでしょうか」と省みて、
そして、そう。
母の作った朝ご飯を自分機嫌悪くて食べなかった些細な昔の行いにも
「済みませんでした。済みませんでした。」と神様に何度も何度も謝り。
わびてもわびても「なぜ自分の父と母が」という答えはでてこない。
なかなか安否がわからなかったため、
毎日毎日歩き回り、瓦礫をどけ、穴を掘り
ずっとずっと叔父夫婦を子供達は探し続けたのでした。
結局遺体安置所が集団火葬する直前でDNA鑑定の結果
叔父の身元がわかり、先に見つかっていて土葬されていたオバを掘り起こし、
一緒に埋葬できることになったのでした。
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今まで長寿のじいちゃんばあちゃんの葬式にしか
出たことがなかった私でしたが、本家の葬式であり、
不慮の死の葬式でありで、たくさんの方がお見えになり
そして生前の人柄の良さから故人を偲び多くの人が涙で暮れていました。
皆何度も「悔しい」と言って泣いていました。
多くの若い人が土地を離れる中、本家の人間として
親も家も財産もすべて失った自分(長男)に、本家再興は途方もなく重い責務で
ありますが、どうかお力添えを宜しくお願いしますと涙涙で頭を下げ
挨拶をしていました。
今の荒浜町は荒れ果て散らばった瓦礫や「もう撤去して良いです」と
印を立てられた家をならしていく作業で追われていますが、
こんなに何もなくなった町を、この先どう再建していけるのだろうかと
誰もが不安に思っているところです。
弔辞で叔父の親友(既に他界)だった息子さんの詠んだ歌が印象的でした。
彼が消防団として震災後、亡骸の拾い上げや瓦礫の片づけをしながら
思いついた歌です。
細かい文々は書き取る状況でなかったので省きますがこんな意味でした。
今回の震災は神様がなしたことだとしたら、
恨むだけ恨んでいては、生き残ったものとして
辛くて悲しくて前に進みようがない。
神様が、きっと荒浜の町をもっと良くせよと
美しくせよと、人間よ頑張れと課題をくださっての
ことに違いない。そう思わないと生きていけない。
たくさんの人の涙と嗚咽が式場をしめます。
外は寒い雨。
どうかこの涙と雨で、荒浜の町が埋め尽くされませんように。
どうか、神様がいて、荒浜が再び美しい町として再生できますように。
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被災地での葬式
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