我が家の末娘、乙女ちゃんが腎不全で旅立ち今日で四十九日に。(享年8才3ヶ月)
本当に、本当に可愛かった。。。
女の仔は小さくて、殊の外可愛かった。。。
四十九日までは、華やかにしていたいと生花を絶やしませんでした。
祭壇もそろそろ落ち着かせないとね。
2015年1月から毎日当たり前になっていた乙女ちゃんの腎臓病ケアがなくなり。
その穴を、生花を手入れすることで代替えしていたのかもしれませんね。
店に売っている仏壇用の菊束はどうしても購入する気になれなくて。
可愛らしい花を選んでお供えしていた私。
四十九日を迎え、一歩進まねば。
一歩進まねばと思う私です。
生前はコケティッシュでドジっ仔でちゃっかりさん。
ただただそんな乙女ちゃんをチャーミングで愛らしいとしか思っていなかったのですが、
亡くなった時のことを色々思い返すと、とても親孝行な猫だったなとしみじみ。
病院からもう手の施しようがないから自宅で家族との時間を大切にといわれてから、すぐに乙女に会いに来てくれた姉。(乙女が亡くなる1週間前)
乙女ちゃん、苦しい体調だっただろうに、玄関に現れた姉に、何度も何度もスリスリと。
人見知りだった乙女ちゃんのその様子を見て、クマオパパが「俺にはそんなにスリスリしてくれたことないのに。」とヤキモチを。
姉が「乙女ちゃんは義理堅いから、先ずはお客様(自分:姉)にご挨拶してくれてるのだよね。もう少し頑張るから、パパ(クマオ)への挨拶はもう少し先なんだよねっ。」といい、「そうだと良いけれど。」とクマオさん。3人涙涙の中笑って。
乙女ちゃんを迎え入れて7年半。
乙女ちゃんは指折り数える程しかクマオさんに寄り添わなかったけれど。
亡くなる数日前の朝になると。歩けるうちはベット下から這い出してきて毎朝クマオパパの顔を見上げてニャー!ニャー!鳴いて出勤のお見送りをしていました。
そんなこと今まで一度もなかったので、もう最期の時が近づいているのだなと思いました。
最期数日は水も食物も拒否だったので、どれだけやせ細った姿の旅立ちになるだろうかと諸先輩方の話を聞いてドキドキしていましたが、亡くなったときの体重は3.3kg。生前3.6kgキープしていたのでこの体重には驚きました。乙女ちゃんはキレイな姿で旅立ちました。
<亡くなる6日前。大好きなブラッシングを>
亡くなる直前。
クマオ氏のアメリカ出張が決まっていました。
クマオ氏に「俺がいない時に乙女を絶対に絶対に死なせるなよ。」と私は言われていて。
乙女ちゃんはもう飲み食いできず歩くこともままならず、トイレも自分で行けない状態で。
この息絶え絶えの乙女の状態で一週間延命させるだなんて絶対絶対に無理だと思っていた私。
でも乙女ちゃんは、クマオパパがアメリカ出張行く直前に旅立ち、私達夫婦2人に最期のお見送りと火葬ができるギリギリの時間を与えてくれました。クマオ氏はちゃんと乙女とお別れの挨拶をしてからアメリカへ。
繊細なクマオ氏と戸惑う私に、心配かけまいと、ママとパパが後悔しないようにと旅だったのだろうな、乙女ちゃん。
埼玉県のとある瓦礫で生活をしていたところを保護された乙女ちゃん。
Sさん宅で家猫修行中だった乙女ちゃん(生後4ヶ月の頃)
Sさんとは譲渡後も長らくお付き合いさせていただいておりまして、乙女が亡くなった翌日いらしてくださいました。
乙女ちゃん、亡くなった翌朝にSさん宅に挨拶に行ってくれたようです。
Sさん宅で人も猫もいないところから物音が何度もしたそうで。
その気配をSさん宅の猫さん達も感じてくれたようです。
Sさんも「あ、乙女ちゃんが来たのかな。」と思ったそうです。
ちゃんと皆に挨拶をして旅立った乙女ちゃんだったんだね。
私とクマオさんに対して、自分(乙女)が居なくなっても早く立ち直れるようにと気遣って旅立ったのだなと、乙女ちゃんはけっこうしっかり者だったんだなと数々のエピソードを思い出しては感じる私です。
ポチッとお願いニャン
あ り が と う
四十九日
By
Categories: 乙女
Sorry, no comments or trackbacks are allowed on this post.